タイムマシンとしての音楽文化

ニライカナイ

唐突だが僕は深海がとても好きなんですね。異形ひしめく異世界……いかにも男性的なロマンに満ちてるじゃないですか。長い間僕は自分の深海に感じる魅力を、生物に敵対的な環境、人跡未踏の地に生物が存在していること、その生物の形状や生態の奇妙さ、などという一種の「理不尽」という言葉で表現していたのだけれど、こないだ見た映画「日本沈没」の作中でしっくりくる理由が語られていた。なんでも、海というのは潜れば潜っただけ時間を遡れる、タイムマシンのようなものだそうだ。なるほど、確かに、地上や近海では想像できない摩訶不思議な生き物に満ち溢れる深海の世界は、地理的のみならず時間的にも隔絶された別世界なのだなあ。まさに常世の国だ。

かごめかごめ

ところで、この深海に似た感覚を覚える音楽がある。童謡だ。件の「ドナドナ」然り、もっと卑近な例では「かごめかごめ」なんかに相当する。このあまりに有名な童歌を知らぬ日本人はいないだろう。だが、この歌の意味を正しく理解している者もまた、誰もいない。普遍的に理解されない、これが理不尽でなく何であろう。もちろんこの歌詞と遊戯への解釈は多岐にわたって試みられ、諸説一理あるものの、万人を納得させるだけの定説はないというのが率直な感想である。
郷愁と不気味さが同居したような奇妙極まる詞、韻、旋律に惹かれるこの感覚は、深海生物を前にした時ととても近しい。それは、彼らは時を隔てて我々に現前しているからだ。タイムマシンに乗ってやってきたこの歌を、我々はうまく理解できない。

地球の記憶、人の記憶

「文化の本質とは」と訊ねられたら、何を思い浮かべるだろうか。おそらく創造性(Ceativity)に関連する事柄だと想像する。しかし、彼らが示す文化の定義とは実にシンプルだ。続けることである。深海はその営みを保ち続けることで我々を驚愕させ、童謡は歌われ続けることで今日の日本文化として認知されている。新しい文化を創ろうという運動は世の中にゴマンとあるが、そのキーポイントは奇抜な創造性ではなく、継続性なのだ。例えその意味が忘れ去られても、社会の一因子として存在する、そんなものを文化と呼ぶのだろう。