17の時、Rojamに行った

17の時、Rojam に行った。
当時、電子音楽に没頭していた僕は数ヶ月前に地元の地方都市でクラブ童貞を捨てたばかりで、クラブに夢中だった。そんな折、上海へ行った。
夕食を済ませ、ホテルでガイドマップを眺めているとクラブ情報が目に留まった。この機を逃す手はないと思った。Rojam というクラブに小室哲哉プロデュースと書かれていたのでそこに決めた。日本人が関係していれば少しでも安全そうに思えた。
そう、僕はビビっていた。知らないクラブは怖い。そのうえ、僕は未成年で、ひとりで、外国で、真夜中の繁華街だった。降る雪の中、地図を片手に歩いた。何度も胡乱な客引きに声をかけられた。はじめから日本語で話しかけてくる。どこで見分けがつくのだろう。Rojam は商業ビルの4階にあった。少し迷って、踏み込んだ。
受付は混んでいた。しばらく待つと係員が英語で話しかけてきた。上海語でなくて安堵する。チャージを支払い中へ入ろうとすると、店員に呼び止められた。しきりに「Twenty」と言っている。年齢を見咎められたのだろうか。体が熱くなる。つとめて平静を装いながら話をよく聞くと、上着を預かる、預かり賃の20元を払えとのことだった。
中に入ると、広いフロアと、それよりずっと広いテーブル席があった。DJ はミニマルテクノをプレイしている。フロアは超満員だったがチークダンスのような雰囲気が漂っている。時折酔っ払いがフロアのお立ち台に上がって踊り出す。飛び交うグリーンのレーザーを見ながら、キメラのようだと思った。
ひと心地つき緊張が解けると、いっときに疲労が襲った。踊る気にも飲む気にもならぬまま階段に腰掛けていると、女が声をかけてきた。相手にする気力もなく、適当にあしらってしまおうと日本語で返事をしたら、今度はカタコトの日本語で話しかけてきた。そこでようやく、僕はその店がどんな場所なのか理解した。
女はしきりに酒を勧めたが、頑なに断り続けるとやがて捨て台詞とともに去っていった。一杯くらい付き合ってもよかったのかもしれない。だがその時の僕は、昼に会った「日本語を勉強したい」女や「留学を目指している」女やらに疲れきっていて、すっかり疑心暗鬼になっていたのだ。
そんなことを3度も繰り返したころ、DJ が替わって音楽がトランスになった。MC が随伴している。ビートに合わせてマイクで何か叫ぶと、客も同じように叫び返している。どうやら「1、2、3、4」を上海語でコール&レスポンスしているようだった。きっとお定まりのパターンだったのだろう。客はみんな乗り気で、見事に盛り上がっていた。
それを見届けて、僕は Rojam を後にした。自分は異邦人なのだと思った。