アニミズム
新聞の論説に「機械化が日本人のアニミズムを駆逐した」的なことが書かれていたが、コンピュータの申し子の世代としては反論しておきたい。機械にもハードウェアとしての身体がある以上そこに霊魂が宿ると考えるのはそんなに無理のあることなのか? 宗教的なことまで踏み込んで考えなくとも、機械に愛着が湧くのはアニミズムの第一歩ではないのだろうか。そんなことは日本人でもないフィリップ・K・ディックが「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」で30年も前に示唆しているではないか。卑近なところでは愛車家など。しかし僕もハードシンセにはアニミズム的な感慨を抱くことはあってもソフトシンセにはない。それは身体と霊魂は一対一という前提条件が存在するからではなかろうか。コンピュータという一つの身体に無数のソフトウェアの霊魂が宿るというのは日本人の郷土性とは相容れないものなのかも知れない。音楽のデジタル配信に感じる味気なさの正体の一つもこのことではないかと思う。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
- 作者: フィリップ・K・ディック,土井宏明,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1977/03/01
- メディア: 文庫
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