良いマスター、悪いマスター

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マスタリングを外注できない案件の原盤制作を担当することが増えた。こういったアーティストとエンジニアの距離感が遠いプロダクションほど提出されたプリマスター=事実上のマスターとなるため、質感の調整などはあまりしない。トータルコンプ済みの 0dB にベッタリ張り付いた波形なので手の入れ様がない。せいぜいdB操作での音量平均化程度である。
では何をするかというと、各種ギャップの調整とノイズチェック等といった業務的な品質に関する作業を行う。これも別段特殊なことはしない。曲間の空白時間を適当な長さに揃えて、波形やメーターを見ながら曲を注意深く聴いてノイズが混入していないか確認する。
こうして他人のプリマスターに接する機会が増えたのだが、ズボラな音源の多さに呆れている。音割れなどザラにある。CD リリースして世に送り出す入魂の音楽をいい加減な状態で納品する神経が理解できない。

プリマスターの良し悪しの例

  • 良いプリマスター
    • 適度なピークマージンをとってある
    • 無音から始まり無音で終わる
    • 曲の前後に適度な空白部分がある
  • 悪いプリマスター
    • クリップしている
    • 意図しないノイズの混入
    • いきなり始まる・いきなり終わる
    • 過度なコンプレッション

ピークマージン

今更言うまでもないことだが、デジタル音楽では 0dBFS を超えるとクリッピングノイズが発生する。これを回避するにはオーバークリップが起こらないようにすればよい。この一見とても単純なお約束があっさりと破られる背景には音圧戦争という名の脅迫心理があるのだが、どうも最近はそれだけではないような気がしてきた。
単純に、そもそもアーティストがピークメーターを見ていない。そうでも考えないと理解できないような頻度でオーヴァークリップした音源に出くわす。
メーターを見ながら通して再生すればクリップがあるかどうか一目瞭然だし、波形編集ソフトにはピーク検出機能がある。だいたいマスターバスの最後にリミッタを挿すだけで済む話だと思うのだが。
これらのことは意識的にピークマージンをとることで確実に予防できる。一般にポピュラーミュージックの CD は 0dB きっかりをピークに作成されている。少しでも音量を上げたい気持ちはわかるが、そこをこらえて、ピークを -0.1〜-0.2dB 程度になるようなプリマスターを作る。極端な話 -0.01dB でもいい。これだけでクリップノイズは起こらない。この状態でプリマスターを提出して、マージン分をノーマライズするかどうかはマスタリングエンジニアに一任してしまえばよいのだ。
僕は -0.1〜-0.2dB 程度のマージンならばそのまま CD で出してしまう。現代の音楽試聴形態は iPod をはじめとする mp3 プレイヤーへと変遷した。この場合ユーザーは CD 音源をリッピング → mp3 エンコードというプロセスを経てプレイヤーに落とし込むことになるが、0dB ピークの音源を mp3 エンコードするとクリップノイズが発生することがある。エンコード時に入るローパスフィルタ等で波形が崩れ、本来なかったクリップができるためだ。これも -0.2dB 程度のピークマージンをとることで対処できる。

前後の無音部分

ノンストップ CD 等をのぞき、CD には曲の切れ目に無音部分がある。CD のトラック2以降、初期設定で2秒の無音部分が挿入される。これをプリギャップと呼ぶ。ただし無音部分は通常トラックデータ内にも含まれる。つまり、
トラックAの終了無音部分 + プリギャップ (2秒) + トラックBの開始無音部分
これがリスナーが聴く無音部分の実時間、つまり曲間時間となる。この時間は CD ごとに統一感のあることが望ましい。短すぎても長すぎてもいけない。CD にもよるが、5秒程度が目安となる。これらの設定が原盤制作者の仕事だ。
以上を踏まえ、どのようなプリマスターを作成すべきか。
まず、無音から始まり無音から終わること。特に意図のない限り、ファイルの先頭と最後に音が鳴っている状態を避ける。無音状態からいきなり波形の位相シフトが起こると DC オフセットノイズが発生する。スライスしたサンプルの前後にフェードを設定しておかないとサンプルの切れ目でブツブツいう、あの現象だ。ハードコアなどではこの断位相差ノイズをあえて利用するケースもあるが、基本的には無音としておく。
次に、曲の前後に余白となる無音部分を作成する。200ms〜2000ms 程度で入っていればよい。この空白には色々なことが現れる。先に述べた開始・終了無音の確認がしやすい。また、空白箇所でも -60dB 以下のノイズが走っている場合はレコーディング時のノイズがそのまま載っているか無音処理されていないディザーなので消しておく。この確認には -100dB まで表示できるメーターを用意する。
曲の終了部については、余韻の長さを調整する必要がある。アウトロがリヴァーブ/ディレイなどで長い残響を持っている場合だ。感覚的には、リスナーは最後に耳にした直接音を楽曲の終了地点と捉え、以降の余韻は空白の一部として聴いている。そこにいつまでもディレイのフィードバックやらが鳴り続けていると、曲の終わりから次の曲までの間が体感時間で20秒以上あく、なんてことになりかねない。区切りのいいところでフェードアウトさせておく。
空白時間の長さについて美しいやり方だと思うのは、その曲の BPM で1小節分あけておくことだ。これだと空白時間だけでなく BPM も確認しやすい。諸般の事情で楽曲の BPM が必要な場合、アーティストの申告値とは別に念のため自分でも追試しておくのだが、0.200 BPM ずれてるなんてのは往々にしてあるのだ。
マーカーの埋め込みも非常に有効だ。もし対応したソフトを持っていれば、曲の開始地点にマーカーをが入っているとエンジニアは作業しやすくなる。マーカーの規格にどういった種類や形式があるのかは寡聞にして知らないが、Acid でプロジェクトに挿入したマーカーはレンダリングした Wav にもマーカー情報が埋め込まれていて Sound Forge で読み込める。
余談だが、以前ドイツのコンピレーションを担当した時、プリマスターに Sound Forge で読めるマーカーの入ったものがあった。おそらく Acid は使っていないと思われるので、他にマーカーの互換性のあるソフトがあるのだろうか。

過度なコンプレッション

一度失われたダイナミクスは、二度と戻らない。

いずれにしても、ほんのわずかな気配りで防げることだ。